15年ほど前、わたしはひとつの後悔を抱えました。
当時は言えなかったけれど、今だからこそ向き合える「小さな償い」のお話です。
言えなかった、たったひと言
「もし、あのとき勇気を出していたら――」
ふとした瞬間に、15年以上も前の出来事が胸をよぎることがあります。
あの夏、わたしはひとつの小さな選択を間違えました。
そして今も、心のどこかに、そのざらつきが残っています。
借金に追われていたあの夏
当時のわたしは、借金に追われていて、日々の生活にも精一杯。
精神的にも余裕がなく、「どうやって今月を乗り切ろうか」と毎日そればかり考えていました。
そんなある日、夏祭りの出店で買い物をしたときのこと。
5,000円札を出したつもりだったのに、店員さんはそれを1万円と勘違いして、お釣りを多く渡してきたのです。
「言わなきゃ。これ、違うって」
そう思いながらも、頭の中には、
「ラッキーかも…」
「これで少しでも生活が楽になる…」
そんな打算的な気持ちが、こっそり顔を出していました。
結局、わたしは何も言えず、その場を後にしました。
時が経っても消えない、心のざらつき
あれから15年近くが経ちました。
今でもあの瞬間のことを思い出すと、胸の奥がチクっと痛みます。
「わたし、正直になれなかったな」
「申し訳ないことをしたな」
「こんなことで得したって、結局、自分が一番損してるんじゃないか?」
誰にも言えずに心にしまってきたこの後悔。
けれど最近になって思うのは、「過去は変えられないけれど、これからの行動で向き合うことはできるかもしれない」ということです。
小さな償いのかたち
あのとき、誠実にふるまえなかったわたし。
そのわたしが今できることは、「あの瞬間と同じ状況になったとき、今度はちゃんと誠実に行動する」と決めること。
そして、小さなやさしさを、日々の中で誰かに返していくこと。
募金でも、親切でも、落とし物を拾うことでもいい。
誰かの役に立つことで、少しでも過去のわたしに「もう大丈夫だよ」と言ってあげられる気がするのです。
最後に:後悔とどう向き合うか
人は誰でも、過去に戻ってやり直したいことのひとつやふたつ、あるものだと思います。
でも、それをどう受け止め、これからをどう生きるかで、きっと心の重さは変わってくる。
今のわたしは、あのときのわたしを否定するのではなく、
「よくがんばってたね」「苦しかったね」と声をかけてあげたい。
そして、これからは、もっと自分にも、人にも、やさしくありたい。
そんなふうに思っています。